Childhood
彼の父親(John Dawson Winter II)はミシシッピ州リランド出身の陸軍士官であり、 仕事でテキサスに赴任し後に妻となる女性(Edwina Winter)と出会う。二人は結婚して、父の故郷のリランドに戻るが、父が仕事のため海外に行くことになり、 妊娠中だった母は一時的に故郷のテキサス州ボーモンドに戻る。その時に生まれた子供がジョニーである。母が実家に戻ってきたわけとしては父の地元では医療面で充分な施設がなく、子供を産む際に不備があることからの判断らしい。
第二次世界大戦終了後、家族はリランドに戻るが、 ジョニーの祖父が綿花ブローカーをやっており、父はその仕事を継ぐことになる。その頃、ジョニーが3才のときに弟Edgar Winterが生まれる。 しかし、父の仕事がうまく行かず、後に家族はボーモンドに移り住むことになる。毎年夏にはリランドには里帰りしていたようだ。
ジョニーが5才のときクラリネットを始めて将来有望視された奏者だったが、9才のときに噛み合わせが悪くなっていることを告げられ断念する。ジョニーは「俺は何日もの間すすり泣いていたんだ」と当時を振り返っている。その時気の毒に思った父がウクレレで曲を何曲か弾き、それを見てジョニーはウクレレをマスターし始める。しかし、父は考え直した。「親父が言ったんだ『俺が知っている限りでは名を成したウクレレ奏者はArthur GodfreyとUkelele Ikeの二人しかいない。Johnnyは12歳ぐらいからギターを始めた。最初はEdgarと一緒に”Winter Brothers”という名でエヴァリー・ブラザーズ風のスタイルでコンテストなどに参加していた。
元々、彼の家庭は音楽環境に恵まれていた。母はピアノ教師、父親は趣味でバンドを組んではサックスやバンジョーを演奏しており、彼の家が綿花業を営んでいたこともあって黒人の従業員からブルースやゴスペルなどの黒人音楽も日常生活上聴いていたようだ。
1959年彼はEdgarを連れて初めてのバンドを結成する。バンド名は”Johnny (Macaroni) And TheJammers”で”Johnny Winter’s Orchestra”とも言われていた。
メンバーは
- Johnny Winter (Vocal, Guitar)
- Edgar Winter (Piano)
- Dan Polson (Bass)
- Willard Chamberlain (Saxophone)
- Melvin Carpenter (Drums)
このバンドでコンテストや学校のパーティーなどに出演していた。
同年、映画”Johnny B. Goode”に合わせて開かれた素人コンテスト”Johnny Melody Contest”に参加、そこで彼らは優勝し、地元ボーモントのレコード・レーベルから初めてレコードを出すことが出来た。Johnnyの自作で”School Day Blues/You Know I Love You”285枚売り、ローカルヒットした。その後、”Creepy/Oh My Darling”もリリース、これも地元ラジオ局のチャートで7位にチャートインした。