2001年Bill Harrimanによるインタヴュー(7月11日電話で実施)
Sound Waves Magazine 2001年8月号より引用
Q:新しいレコードの仕事をしていると聞きましたが?
Johnny(以下J):うん、やってるよ。
Q:スーザン・テディッシの最新盤をプロデュースしたトム・ハムブリッジが一緒に仕事をしていると理解してますが。
J:彼がプロデュースしている部分もある。
Q:進行状況は?
J:2曲仕上がったよ。
Q:新しいレコードを製作するのは今でもエキサイティングですか?
J:ああ、いつもそうさ。
Q:全部エレクトリックですか?
J:その件についてははっきり言えない。いくつかアコースティックの曲もやるかも知れないな。
Q:良いプロデューサーの条件は?
J:一緒に仕事してて誰か他の人がそうすべきだと思っている方法ではなくて、自分がそうしたいと思っている方法でそれを実現できる人だな。プロデューサーはアーチストが求めるものをテープに収めるように努めるべきだ。
Q:アリゲーターはあなたのベスト・ワークのいくつかを「Deluxe Edition」でリリースしましたね。
J:ああ、俺もあのアルバムは好きだ。
Q:そしてコロムビア/レガシーはあなたの初期の作品を再発するようですね。
J:ああ、そのとおりだ。
Q:このようなプロジェクトが行われる際にコロムビアの人たちに何か助言するんですか?
J:いや、コロムビア時代に俺がやったベストの作品をいくつかというのが彼らのアイディアだろう。彼らの選択に同意できることを願いたいね。自分がきいた限りじゃ、かなりいいものになりそうだ。俺とマイク・ブルームフィールドとアル・クーパーとやった曲が収められるそうだ。
Q:コロムビア作品はよりロックン・ロールで、アリゲーター作品はよりハードなブルースに思えました.ご賛同いただけますか?
J:ああ、そんな風にやっと思うね。ロックン・ロールをやるのに飽きて、もうちょっとストレートなブルースをやりたくなったんだ。
Q:そういえば、あなたはコロムビアのあとアリゲーターの前にマディ・ウォーターズと仕事をしましたね。どんな感じだったんですか。
J:うん、偉大な男だった。俺の仕事のハイライトの一つはマディとの仕事だったと思うな。
Q:マディから学んだことは?
J:紳士である方法かな。マディはいつでも誰に対してもいい人だった。そしてマディは俺にロックン・ロールをやる必要はなくブルースを演奏すればコトが成せると確信させたんだ。マディとの仕事はホントに楽しかった。偉大な男さ。
Q:マディとの仕事の後でソニー・テリーとのプロジェクトをやりましたよね?
J:そうだよ、「Whoopin’」というレコードだ。ソニーの古いドラマー、サイ・ポミニックがこの小品をセットアップした。彼は俺にやるべきだと確信させたんだ。ウィリー・ディクスンがベースを弾き、それには誰もかなわない。あのレコードは何度も掛けて楽しんだし、もっと多くの人に聴いてもらいたいな。
Q:話題を変えますが、コネチカット州にはどれぐらい住んでるんですか?
J:2年だよ。ニューヨークにほど近くてすぐに行けるけど適度に離れているので都会にいるという感じはないだろう。
Q:テキサス州に住んでいた頃からはかなり時間が経ちましたか?
J:ああ、大昔だ。ニューヨークに30年間住んでいた。
Q:近々ツアーの計画は?
J:うん、8月にはイギリスに行くと思うよ。1週間いるだろう。ツアーの最後にはスカンジナヴィアに行く。
Q:いまでも旅回りは楽しいですか?
J:ああ、でもバスでの旅行が一番好きだな。飛行機はあまり好きじゃないんだ。
Q:ジョニー、いつの日か残しておきたい音楽の遺産について考えたことありますか?
J:ああ、あるよ。音楽でやってきたことには誇りを持っている。音楽が好きさ。
Q:ミュージック・ビジネスでいつかは一緒に仕事をしたいと思っていて実現できないでいる人はいますか?
J:B.B.キングと何かやってみたいね。
Q:最近B.B.が自伝を書いたのは知ってますよね。あなたも自伝を考えたことがありますか。
J:やってみたいね。俺の物語は面白いと思うな。俺もやってみるかな。
Q:私たちに何でもオープンに話してくれればいいんですよ。
J:ああ、人生のこの時点でそうすることは構わないな。
Q:ジョニー、あなたの物語に対する需要はありますよ。ファンは本当にあなたを好きだから。
J:そうかい、そういわれると気分がいいな。
訳:東淀川スリム氏